武蔵野市歴史年表 旧石器時代~明治21年

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ページ番号1003300  更新日 2018年1月17日

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武蔵野村、武蔵野町、武蔵野市へ

昭和37年、市内御殿山の一角で、土器と竪穴住居跡が発見され、井の頭池周辺に約4,000年前の縄文人の集落が確認されました。

江戸時代、玉川上水の開通で、武蔵野の原野は、農地の開発が進みました。相次ぐ江戸大火で、1659年に水道橋の吉祥寺門前町から、1662年には西久保城山町(港区芝)から焼け出された住民が武蔵野に移住し、吉祥寺村、西窪村が誕生。その後、関前村、境村が続きます。

明治22年、4つの村および飛地が合併して武蔵野村となりました。人口3,000人。この年、甲武鉄道が開通し、境停車場が誕生。武蔵野発展の動脈になっていきます。

大正12年、関東大震災後、武蔵野村にも東京市内からの移住者が増え、農村から近郊都市へと発展。

昭和3年、人口1万3,000人となり町制施行。5年に、横河電機が渋谷から移転、13年に中島飛行機武蔵野製作所が開設され、軍需産業都市に変貌。19年から20年の終戦まで、同製作所は10回前後も米軍の爆撃を受けて全滅。民家も被災しました。

旧石器時代(約1万5000~約3万年前)~明治21年(1888年)

溝状遺構の写真
溝状遺構。平成8~9年の調査(御殿山遺跡)で発見された遺構。多くの市民が見学に訪れた。
石器の写真
井の頭池遺跡群から発見された石器。
土器の写真
井の頭池遺跡群から発見された縄文時代の土器。

旧石器時代(約1万5000~約3万年前)

井の頭池畔御殿山から石器が出土(昭和37年)

縄文時代(約3000年~約1万5000年前)

井の頭恩賜公園で縄文時代中期の竪穴住居跡を発見(昭和37年)

宝亀2年(771年)

武蔵国、東海道に属す。

慶安3年(1650年)

江戸西久保城山町(今の港区芝西久保巴町)焼失。

承応2年(1653年)

玉川上水敷設工事許可、翌年完成。

明暦4年(1658年)

1月、江戸大火(水道橋の吉祥寺類焼)。

寛文

2年(1662年) 西久保城山町の農民、武蔵野に移住。これが現在の西久保の由来。城山通りに名が残る。
4年(1664年) 吉祥寺村、西窪村検地される。
12年(1672年) 関前村検地される。

延宝6年(1678年)

境村検地される。

元禄9年(1696年)

千川上水完成。

享保10年(1725年)

武蔵野新田開かれる。

元文元年(1736年)

境新田、関前新田を含む武蔵野新田83カ村検地される。

慶応2年(1866年)

武州一揆起こる。

明治

元年 吉祥寺、西窪、関前、境の4カ村武蔵県に編入。
2年(1869年) 品川県の管下に置かれる。
3年(1870年) 1月、武蔵野新田12カ村農民による品川県庁への直訴事件・御門訴事件起こる。
4年(1871年) 吉祥寺村と西窪村は東京府に、関前村と境村は入間県に編入。
5年(1872年) 1月、4カ村、神奈川県に編入。
6年(1873年) 小学校設立。(研磋学舎[現一小]が安養寺、三省学舎が源正寺、栄境学舎[現二小]が観音院にそれぞれ設立)。
11年(1878年) 北多摩郡が成立。
13年(1880年) 第2回内国勧業博覧会に吉祥寺村の独活(うど)を出品。
17年(1884年) 7月、4カ村の戸長役場を合併、現在の武蔵野市域の原形ができる。
21年(1888年) 甲武鉄道株式会社が設立される。

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