教育長通信「大河」

このページの情報をXでポストできます

ページ番号1052069  更新日 2026年3月13日

印刷 大きな文字で印刷

教育長写真

令和7年4月1日付けで、武蔵野市教育長として着任した吉原 健(よしはら たけし)と申します。

これから、教育長としての私の日ごろの思いや考えを教育長通信「大河」という形で市民の皆様と共有できればと思っています。「大河」には、大きな流れのような教育の発展・地域の教育を広く包括する大きな視野・教育の未来に向けた大きな可能性という意味を込めています。

ぜひご覧ください。

第14号

『対話』について考える

以前、劇作家の平田オリザ氏の【対話のレッスン】という本を読みました。

この本には、-日本人のためのコミュニケーション術-というサブタイトルがつけられており、『会話』と『対話』の違いについても分かりやすく書かれています。

平田氏によれば、『会話』とは「お互いの事情をよく知った者同士の気楽で気軽なおしゃべり」であるのに対して、『対話』とは「お互いのことをあまりよく知らない者同士が“知らない”ということを前提にして行う意識的なコミュニケーション」であるということです。

日本ではこれまで何百年にもわたって、極端に人口流動性が低い社会が形成されてきました。こうした狭い閉じた社会の中では、『対話』の必要性はあまりなく、「なんとなくわかる」という日本人の合意形成能力が大きな力を発揮してきたと言われます。

こうした「わかり合う文化」を日本は独自の文化として築いてきたといえるでしょう。

しかし、これからは日本社会でもますます「多様性」と「協働性」が重視される時代になります。つまり、『対話』重視の社会への転換が求められるのです。異なる価値観や考え方を擦り合わせ、相手との違いを認め合い、それを発展させることが必要だと考えます。

さらに平田氏は、日本はこれまで企業や学校といった大きな共同体に所属する単層的な社会であったがゆえに、単一的な価値観に縛られやすい面があったと言います。しかしこれからは一人の人間が趣味やボランティア、社会貢献活動など異なる価値観をもった複数の集団に所属する重層的な社会に舵を切ることで、新たな価値の創造に向かうことになります。

学校教育でも、今までは学級や学年などの限られた集団の中での交流が主であったと考えます。しかし、小学生や中学生の子どもたちによる地域の異年齢・異世代の方との交流や学校間の交流、さらにボランティア活動や地域サークルの活動などでの横断的な交流の場を増やすことで、対話的なコミュニケーションをより深めることができると考えています。

そして、このことが地域社会における豊かな結び付きや地域の活性化につながっていくことも大いに期待できるのではないでしょうか。

参考図書:「対話のレッスン(平田オリザ)」講談社学術文庫

伝わるとはどういうことか?

対話やコミュニケーションという言葉は、ある知識とそれを運用するためのスキルというように限定して考える傾向がありました。たとえば、「あの人はコミュニケーション力が高い」という言い方は、どんな相手とも円滑に意思疎通を図ることができる…、どんな人とも流暢に楽しく会話を続けることができる…といった印象につながっています。

しかし、本来対話やコミュニケーションは、表現の形式的な正確さや流暢さが問われるものではなく、「相手に何を伝えたいのか」が問われるべきだと思います。

早稲田大学名誉教授の細川英雄氏は、「対話において大切なことは、価値観を同じにすることではなく、それぞれが異なるという認識をもつこと」だと言っています。

お互いの価値観が異なるということは、多様な考えや発想をもち合えるということであり、未知の問題解決に向けた創造的な対話につながっていきます。

もう一つ大切なことは、「何のために」対話をするかということです。対話の基になる話題やテーマに問われるべき必然性や必要感があるかということです。自分の中に「なぜ?」という問いをもち、対象となる話題を「自分の問題」として捉え、それを相手との丁寧なやり取りによって明らかにしていこうとする姿勢が大切です。

今問われている学校教育における「対話的な学び」も同じ次元で捉える必要があります。

つまり話し合う目的や必要観を感じないまま行う対話や、話し合いの知識やスキルを学ぶこと自体が目的化してしまう対話からは脱却しなければなりません。教室の中では、子どもがお互いの見方や考え方を生かしながら、よりよい問題解決に向かうこと、対話によって心からの「納得と合意」を得ることが何より大切と考えます。

これからの時代に求められる「対話」は、個人や集団の利害だけに収束させずに、対話を通してよりよい社会の実現に参画していくことが求められます。細川氏は、このことを「ことばによる市民性」と呼んでいます。学校教育においても、「対話」を未来の社会や文化への貢献や発展という文脈の中で捉えていくことが必要になるでしょう。

参考図書:「対話をデザインする(細川英雄著)」ちくま新書

第13号 反射神経を整える

いつの頃からか、実家に一人で暮らす高齢の母の口癖が「ありがとう…」になりました。

電話でも手紙でも必ず最後の言葉は「ありがとう…」です。母は昔から機械に弱く、携帯電話もスマートフォンも使いこなすことができません。何度かチャレンジしたこともありますが、「かえってストレスがたまる…」と言って断念しました。その代わり昔から“超”が付くほどの「筆まめ」で、何か用事があると電話より早くお礼や感謝の手紙が届いたりします。

私の母のコミュニケーションツールとして、はがきや手紙は必須アイテムといってよいでしょう。「書く」ことによって周りの人たちとの人間関係を円滑に築いてきたともいえます。もちろん、メールやLINEの即時性やスピードには絶対に勝てませんが、書くことや文字に残すことによって、伝わる相手への思いやりや心遣いも捨てがたいものがあります。

『暮らしの手帖』の前編集長である松浦弥太郎氏は、コミュニケーションの基本の一つとして、【反射神経を整える】ことをあげています。松浦氏によれば、【反射神経を整える】とは、「相手に素早く反応する癖を体に染み込ませておく」ということです。

皆さんの周りにも「メールの返信や電話の折り返しが常に早い」人がいるのではないでしょうか?こちらが返事を求めていなくても、「確かに受け取りました…」「ご連絡ありがとうございました…」と必ず返してくれる人もいます。松浦氏によれば、こうした行為は相手を待たせずに次の行動に進ませてあげるという 「与える行為」であり、早ければその場で終わるという「自分にとってのメリット」でもあります。

【反射神経を整える】ことは、相手との信頼関係を深め、コミュニケーションの質を高めるものでもあります。逆に相手に何かお願いしたり、連絡したりするときの返事がなかなか来なかったり、間延びしてしまったりしたら、その先の相手とのコミュニケーションも何か緩んだものになってしまう懸念があります。

この「反射神経」という言葉は、教師の仕事においても汎用性が高いと私は思っています。

子どもや保護者とのどんな小さな約束にも、迅速に誠意をもって応える教師の姿勢は、相手との信頼関係を深めてくれます。私たち一人一人が常に意識して仕事の中に「反射神経」を取り込むことで、学校に対する信頼感を高め、格段に仕事がしやすくなると思っています。

第12号 離見の見(りけんのけん)

能の大成者として知られる世阿弥は、数々の珠玉(しゅぎょく)の言葉を後世に残しています。

世阿弥の有名な言葉の一つとして、「初心忘るべからず」があります。これは、初めの志を忘れてはならないという意味だけではなく、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち試練を乗り越えていくときの考え方を意味しています。

また、世阿弥は、「花鏡(かきょう)」の中で、「観客を見る役者の演技は、離見(客観的に見られた自分の姿)である。『離見を自分自身で見ること』すなわち【離見の見(りけんのけん)】が必要であり、自分を見る目と観客を見る目を一致することが重要である」と述べています。

さらに世阿弥は、<目前心後(もくぜんしんご)>という言葉も用いています。これは「眼は前を見ていても、心は後ろに置いておけ」ということ、すなわち、自分を客観的に外から見る努力の大切さを指摘しています。これと似た言葉で「木を見て森を見ず…」という言葉もありますが、私たちは、部分から全体を見るだけではなく、大局(全体)から小局(部分)を見る視点も身に付ける必要があると思います。

すべての教師は、子どもたちのために日々努力を惜しまずに職務にあたっています。そして教師としての経験やスキルを身に付けるほどに、子どもへの理解を深めることができているかもしれません。しかし、一方では過度な自信と慢心に陥らないように自らを戒めることも大切です。

一人一人の子どものために良かれと思ってやっていることが、いつの間にか子どもや保護者の願いからずれてしまっていないかどうかを、大局的かつ客観的に振り返るために、自分自身の姿を【離見の見(りけんのけん)】で見定める心のゆとりを持ち続けたいものです。

そのためには、謙虚に子どもや保護者の声に耳を傾けること、同僚や先輩教員を含めた第三者の助言や意見を進んで聴く努力が必要です。子どもの小さなつぶやきや心の声を聴き取ろうとする営みは、教師である以上求められ続けるのです。こうすることで子どもや保護者の視点に立って教師としての自分を見つめ直すことができるのかもしれません。

常に成長し続けられる教師であるために、第三者の目で客観的に今の自分を見つめ直し、足りないところを補っていくことを大切にしたいと思います。

第11号 「受信力」を高める

今の時代は、まさに「発信力」の時代です。SNSやインターネットを始め情報発信のツールも格段に進化し、世界中の至る所に自分の意見や言葉を届けることができます。大いなる発信力は、世界中のあらゆる人と瞬時につながり、自尊感情を大いに高めてくれるかもしれません。

一方で、発信することの大事さが強調されればされるほど、逆に衰えてきているのが「受信する力」といえないでしょうか。他人の発している小さなサインやシグナル、他人のつぶやきや沈黙、そうした他者の存在というものを、自分から受け止めることができる確かな「受信力」が徐々に衰弱し、今の日本社会のあり方まで歪ませていると感じるのは私だけでしょうか。社会の孤立や分断は進んでいるように感じます。

今、どの学校でも、子どもの自殺の未然防止などを目的として、「SOSを出すための教育」に継続的に取り組んでいます。「心配なことや悩みごとがあったら遠慮せずに、自分の周りにいる信頼できる大人に勇気を出して相談してみましょう…」と私も校長時代よく生徒たちに訴えていました。しかしながら、学校評価の結果などを見ると、教職員に進んで相談する生徒の割合は毎年なかなか増えることがなく、子どもの相談対象として教職員が思うように期待されていないのはなぜだろう…と自らに問いかけていました。

私が感じていたのは、「教職員自身も自らSOSを出していないのではないか?」ということです。校長として、「教職員の心理的安全性を保障する学校づくりができているのか?」、「若い先生にとって、同僚や先輩の先生が指導上の悩みや不安を打ち明ける相手になっているだろうか?」、「職員室の中は、先生たちが安心して自由に話ができる場になっているだろうか?」、「教職員同士で雑談やグチが言い合える時間や場が保障されているだろうか?」校長時代、私はそんなことをよく考えていました。もし教職員がSOSを出せていないとしたら、子どもにSOSを出すことを求めることは、やはりなかなか難しいのではないか…と考えています。

もう一つは、私たちがSOSを受け止める力を高めることです。相手の言葉にじっと耳を傾けて聴き取ること、相手の沈黙にじれずにじっと待つこと、時にはただそばにいて寄り添うこと、そんな力を取り戻す必要があるのかもしれません。

その人が本当に自分を受け止めてくれる人かどうかを子どもは瞬時に見抜く力を備えていると思っています。見せかけだけの「受信力」を振りかざすことは、かえって子どもの心を閉ざしてしまうのではないでしょうか。教室の中には先生が受け止めてくれることをじっと待っている子が必ずいるはずです。そんな一人にそっと寄り添う力を身に付けたいものです。

参考図書:「なつかしい時間(長田弘著)」岩波新書

PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください

このページについてご意見をお聞かせください


このページに関するお問い合わせ

教育部 教育企画課
〒180-8777 東京都武蔵野市緑町2-2-28
電話番号:0422-60-1894 ファクス番号:0422-51-9264
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。