玉川上水

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ページ番号1031112  更新日 2024年8月6日

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玉川上水の写真

玉川上水は、江戸(えど=今の千代田区周辺(しゅうへん)の区部)に住む武士(ぶし)たちの飲み水とするために、庄右衛門(しょうえもん)・清右衛門(せいえもん)兄弟によって作られた水道です。承応(じょうおう)2年(1653)に工事が始まり、その翌年(よくねん)に工事は完成(かんせい)したと言われています。羽村で取(と)り入れた多摩川(たまがわ)の水は、四谷大木戸(おおきど)(今の新宿駅と四ツ谷駅の間にあった江戸の入口)までのおよそ43キロメートルは地上を流れていますが、それから先は地面の下の石や木で作った水道管(すいどうかん)の中を流れています。玉川上水の水は武蔵野台地(むさしのだいち)の村々にも分けられ、村人のくらしに役立ちました。

昭和40年(1965)、淀橋(よどばし)浄水場(じょうすいじょう)(今の東京都庁(とちょう)など高層(こうそう)ビルが建(た)っているあたりにあった浄水場)を廃止(はいし)したので、小平監視所(かんしじょ)(立川市)から先の玉川上水に水を流す必要(ひつよう)がなくなりました。すると、水の流れない玉川上水は、ごみ捨(す)て場のようになってしまいました。しかし、武蔵野市民(しみん)をはじめとする多くの人々の努力(どりょく)により、玉川上水にはまた水が流れるようになりました。また、平成(へいせい)15年(2003)には国の文化財(ぶんかざい)になり、大切に残(のこ)していくことが決まりました。

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