昭和初期(しょき)の武蔵野町(むさしのまち)
村から町へ。戦争(せんそう)とともに工場が集まっていった昭和初期の歴史(れきし)を紹介(しょうかい)します。
激(はげ)しい空襲(くうしゅう)にあった武蔵野町
武蔵野村は昭和3年(1928)に武蔵野町となりました。当時の人口はおよそ1万3000人でした。このころから大きな会社も集まりはじめました。昭和5年 (1930)には、計器(けいき)メーカーの横河電機製作所(よこがわでんきせいさくしょ)が移(うつ)ってきました。
その次の年、「満州事変(まんしゅうじへん)」という日本軍(ぐん)と中国軍の武力衝突(ぶりょくしょうとつ)がおこり、武器(ぶき)をつくる産業(さんぎょう)が盛(さか)んになります。武蔵野町にも広い土地がたくさんあったので会社が集まり、工場地帯(こうじょうちたい)になっていきます。
昭和13年(1938)には、飛行機(ひこうき)のエンジンをつくる中島飛行機の工場ができました。昭和16年(1941)に「太平洋戦争」がおこると、それにあわせて工場もより大きくなり、働(はたら)く人たちも引っ越(こ)してきて、昭和18年(1943)には武蔵野町の人口は5万6418人になりました。
しかし、戦争が進むにつれ、アメリカ軍による激しい空襲を受けます。多くの人が亡(な)くなり、爆撃(ばくげき)のないところに引っ越す人も多く、戦争が終わった昭和20年(1945)には、人口は4万1865人に減(へ)ってしまいました。

米国議会図書館所蔵(べいこくぎかいとしょかんしょぞう)
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