終戦(しゅうせん)から立ち上がる武蔵野市(むさしのし)

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ページ番号1011336  掲載日 2024年8月6日

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昭和22年(1947)に武蔵野市が誕生(たんじょう)。いまの武蔵野市のもとになるさまざまなまち作りがおこなわれました。

独自(どくじ)のくらしやすいまち作りを開始

戦争(せんそう)が終わると、日本は連合国軍(れんごうこくぐん)に占領(せんりょう)されますが、そこから日本は立ち上がっていきます。

昭和22年(1947)11月3日には、武蔵野市が誕生します。多摩地域(たまちいき)では、八王子市、立川市に続(つづ)いて3番目にできた市でした。このころの人口は6万3486人でした。

子どもの数も増(ふ)えて、昭和22年(1947)には第一中学校、昭和24年(1949)には第二中学校、昭和26年(1951)には大野田小学校、境南(きょうなん)小学校、第三中学校、昭和27年(1952)には本宿小学校、昭和28年(1953)に第四中学校、昭和29年(1954)には関前(せきまえ)小学校など、多くの学校がこのころにつぎつぎと作られました。昭和32年(1957)には武蔵野市の人口は10万人をこえました。

今の武蔵野市の基礎(きそ)となっているものはこのころに整備(せいび)されました。昭和29年(1954)ころから水道の給水(きゅうすい)が吉祥寺(きちじょうじ)周辺(しゅうへん)ではじまり、昭和38年(1963)から今のような「町丁目番地」という住所の表し方もはじまりました。これは東京の市町村では、はじめてのことでした。

昭和41年(1966)には吉祥寺駅のまわりが整備されて、今のようなお店がたくさん集まるまちへと変(か)わってきました。三鷹駅(みたかえき)北口広場にある「世界連邦平和像(せかいれんぽうへいわぞう、北村西望(きたむらせいぼう)作)」は、このころ、昭和44年(1969)11月に設置(せっち)されたものです。

町名整理図(第六次案)の写真
町名整理図(第六次案(あん))昭和35年(1960)6月 武蔵野市歴史公文書より

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