明治(めいじ)時代の武蔵野村(むさしのむら)
明治時代に、はじめて武蔵野に小学校が作られ、村ができ上がり、鉄道(てつどう)も開通(かいつう)していきます。
明治22年(1889)には武蔵野村が誕生(たんじょう)!
現在(げんざい)の第一小学校(当時の名前は研さ学舎(けんさがくしゃ))が明治6年(1873)6月に開校。8月には、現在の第二小学校(当時の名前は栄境学舎(えいきょうがくしゃ))が開校しました。
明治22年(1889)には、吉祥寺(きちじょうじ)、西窪(にしくぼ)、関前(せきまえ)、境(さかい)の4つの村がひとつになって武蔵野村がうまれました。そのころの人口はおよそ3000人でした。
この年、今の中央線の一部、新宿駅~立川駅間ができました。当時は、「甲武鉄道(こうぶてつどう)」とよばれていました。

コラム 甲武鉄道物語
甲武鉄道が開通したときは、新宿駅、中野駅、境駅、国分寺駅、立川駅の5つの駅しかありませんでした。
吉祥寺駅ができるのはそれから10年後の明治32年(1899)。そのころは駅のまわりに家は数軒(けん)あるだけ。1日に乗り降(お)りする人は数人だったようです。
今の三鷹駅(みたかえき)ができたのはさらに30年後の昭和5年(1930)のことでした。
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