玉川上水(たまがわじょうすい)

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ページ番号1031112  掲載日 2021年2月19日

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玉川上水は、江戸(えど、今の東京)に住(す)む武士(ぶし)たちの飲(の)み水とするために、庄右衛門(しょうえもん)・清右衛門(せいえもん)兄弟によって作られた水道です。承応(じょうおう)2年(1653年)に工事(こうじ)が始(はじ)まり、その翌年(よくねん)に工事は完成(かんせい)したと言われています。羽村(はむら)で取(と)り入れた多摩川(たまがわ)の水は、四谷(よつや)大木戸(おおきど)(今の新宿駅(しんじゅくえき)と四谷駅(よつやえき)の間にあった江戸の入口)までのおよそ43キロメートルは地上(ちじょう)を流(なが)れていますが、それから先(さき)は地面(じめん)の下の石や木で作った水道管(すいどうかん)の中を流れています。玉川上水の水は武蔵野(むさしの)台地(だいち)の村々にも分けられ、村人の暮(く)らしに役立(やくだ)ちました。

昭和40年(1965年)、淀橋(よどばし)浄水場(じょうすいじょう)(今の東京都庁(とうきょうとちょう)など高層(こうそう)ビルが建(た)っているあたりにあった浄水場)を廃止(はいし)したので、小平(こだいら)監視所(かんしじょ)(立川市[たちかわし])から先の玉川上水に水を流す必要(ひつよう)がなくなりました。すると、水の流れない玉川上水は、ごみ捨(す)て場(ば)のようになってしまいました。しかし、武蔵野市民(むさしのしみん)をはじめとする多くの人々の努力(どりょく)により、玉川上水にはまた水が流れるようになりました。また、平成15年(2003年)には国の文化財(ぶんかざい)になり、大切に残(のこ)していくことが決(き)まりました。

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