終戦(しゅうせん)から立ち上がる武蔵野市

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ページ番号1011336  更新日 2019年6月6日

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昭和22年に武蔵野市が誕生(たんじょう)。いまの武蔵野市のもとになるさまざまなまちづくりがおこなわれました。

独自(どくじ)のくらしやすいまちづくりを開始(かいし)

 戦争(せんそう)が終(お)わると、日本は連合国軍(れんごうこくぐん)にせんりょうされますが、そこから日本は立ち直っていきます。

 昭和(しょうわ)22年11月3日(1947年)には、武蔵野市が誕生(たんじょう)します。多摩地域(たまちいき)では、八王子市(はちおうじし)、立川市(たちかわし)につづいて3番目にできた市でした。このころの人口は6万3486人でした。

 子どもの数もふえて、昭和22年(1947年)には第一(だいいち)中、昭和24年(1949年)には第二中、昭和26年(1951年)には大野田(おおのでん)小、境南(きょうなん)小、第三中、昭和28年(1953年)に第四中、昭和29年(1954年)には関前(せきまえ)小など、多くの学校がこのころにつぎつぎと作られました。昭和32年(1957年)には武蔵野市の人口は10万人をこえました。
 今の武蔵野市の基礎(きそ)となっているものはこのころに整備(せいび)されました。昭和29年(1954年)ころから水道の給水(きゅうすい)が吉祥寺(きちじょうじ)しゅうへんではじまり、昭和38年(1963年)から今のような「○○町○丁目(ちょうめ)○番地(ばんち)」という住所(じゅうしょ)のあらわしかたもはじまりました。これは東京の市町村(しちょうそん)では、はじめてのことでした。

 昭和41年(1966年)には吉祥寺駅のまわりが整備されて、今のようなお店がたくさん集(あつ)まる町へと変(か)わってきました。ちなみに三鷹駅(みたかえき)北口広場にある「世界連邦平和像(せかいれんぽうへいわぞう、北村西望[きたむらせいぼう]作)」は、このころ、昭和44年(1969年)11月に設置(せっち)されたものです。

境駅の写真
昭和28年ごろの境駅(さかいえき)北口のようす
高架化工事の写真
昭和41年の吉祥寺駅の高架化(こうかか)工事のようす

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