ブックタイトル2012武蔵野市市勢要覧(2014年一部改訂版)
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2012武蔵野市市勢要覧(2014年一部改訂版)
昭和41年-50年昭和40年代に入ると、市では、小・中学校の校舎の鉄筋化や体育館やプールの建設、保育園の増設などに力を入れていきます。吉祥寺では大型店舗の出店ラッシュが始まり、まちは人々でよりにぎわいを増しました。市では吉祥寺駅周辺の再開発事業に着手するとともに、武蔵境南口広場の計画も決定し、新たなまちづくりを進めました。昭和41年、武蔵境駅。人口も増え、朝夕のラッシュ時はサラリーマンでいっぱい昭和48年、第2回むさしのジャンボリー。奥多摩の梅沢で川遊び吉祥寺で大型店の出店ラッシュ。混雑を解消するために再開発事業に着手。まちづくりの方向性を市民主体で策定武蔵野市では、昭和46年度を初年度とする基本構想・長期計画の策定において、市内在住の自治体専門家4名と助役で構成する策定委員会が中心となって策定する方式がとられました。1966年(昭和41年)2月高校入学資金貸付制度の実施4月身体障害児などに福祉手当支給6月議長に秋本利義就任/市営こどもプール完成7月福祉会館が完成9月市立桜堤小学校開校/市全域の住居表示完了12月吉祥寺駅周辺都市計画事業決定1967年(昭和42年)4月児童扶養手当制度実施(全国初)/一般家庭のごみ処理手数料廃止/ラグビースクール開校5月議長に高橋震治就任6月学校給食共同調理場事業開始(現桜提共同調理場)7月東京都より受水開始/富士高原学園完成11月市制施行20周年記念式典挙行/人口13万3000人/朝永振一郎氏を名誉市民に推挙1968年(昭和43年)3月市営西久保住宅完成8月武蔵野市開発公社を設立10月交通災害共済制度スタート/市民会館開館(旧二小跡)1969年(昭和44年)2月女子大通り下水道幹線が完成4月市立境保育園開園/荻窪~三鷹駅間高架完成5月吉祥寺駅北口防災建築街区指定/市立桜堤児童館開館6月議長に内海星通就任8月学校プールを一般に開放10月中学校で牛乳給食を開始11月三鷹駅北口に世界連邦平和像(北村西望作)建つ12月吉祥寺ステーションセンター(ロンロン、現アトレ吉祥寺)開業1970年(昭和45年)1月東部地区で水洗化実現、一般家庭のし尿くみ取り料金廃止4月下水道受益者負担金制度を実施/武蔵境駅南口広場都市計画決定7月「公害排除都市」宣言当時の武蔵野市の人口は、現在とほぼ同じ約13万人。全国でも指折りの人口過密都市になっており、福祉や社会基盤、環境、産業など課題が山積していました。長期計画の策定は、他の市町村のように職員が作成した原案を審議するのではなく、前述の在住市民で構成される策定委員会が媒体となって、市民参加、議員参加、職員参加を通じて議論を重ねながら作った討議要綱・計画原案を、市長、助役、そして市の関係部局の部課長が実現できるか、一行一行検討し、実現性を高めていくという方式がとられました。当時、これだけのさまざまな立場の市民が基本構想の策定に参加する方式をとる自治体は他になく、それゆえ「武1971年(昭和46年)2月公害健康診断実施(1回目)/ふじみ焼却場付近住民、ごみ搬入阻止3月吉祥寺大通り(五日市街道~末広通り間)開通/『武蔵野市史』本編発行4月市立関前南小学校開校/市立第六中学校開校5月議長に喜多克雄就任6月市立東保育園開園9月緑化市民委員会発足/武蔵野市基本構想・長期計画(昭和46年度~55年度)を策定10月宅地開発等に関する指導要綱制定11月F&Fビル(B棟)開館1972年(昭和47年)3月F&Fビル(A棟)開館4月国民健康保険を外国人にも適用/富山県利賀村と姉妹都市盟約5月市営関前住宅完成6月市議会廃棄物対策特別委員会設置8月第1回むさしのジャンボリー開催1973年(昭和48年)1月米軍施設グリーンパークが日本に返還される3月清掃対策市民委員会発足4月武蔵野市民緑の憲章制定/市立境南保育園開園/市立境幼稚園開園/北町共同調理場完成6月議長に岩間一就任10月地域生活環境指標を作成11月武蔵野市の用途地域・地区を改正12月武蔵境駅南口広場都市計画事業決定/第一次調整計画(昭和49年度~53年度)策定/グリーンパークC地区(アメリカンスクール跡地・国有地2万3835㎡)の市管理開始1974年(昭和49年)1月中央通り市民ホール開館3月お年寄りの世帯に“福祉電話”を設置4月武蔵野市土地開発公社を設立1975年(昭和50年)2月グリーンパーク跡地を公園にする都市計画決定5月議長に石川宗一就任/武蔵野市民交響楽団誕生11月グリーンパークC地区を市庁舎用地(一部市立公園)とする方針を決定(国有財産関東地方審議会)グリーンパークB地区(米軍消防署跡地、国有地8,425㎡)を国立久里浜養護学校付属武蔵野教育施設とすることに決定(国有財産関東地方審議会)蔵野市方式」と呼ばれるようになったのです。(参考文献『自治体は変わるか』松下圭一著/岩波新書「回想の武蔵野市計画」より)昭和43年、市民会館開館。旧二小跡に社会教育施設として58