ブックタイトル2012武蔵野市市勢要覧(2014年一部改訂版)
- ページ
- 18/68
このページは 2012武蔵野市市勢要覧(2014年一部改訂版) の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 2012武蔵野市市勢要覧(2014年一部改訂版) の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
2012武蔵野市市勢要覧(2014年一部改訂版)
新しい「いま」があるまちへ私が武蔵野市に居を定めてからおよそ30年、今では孫の世代まで市内に居住しています。この間、武蔵野市では行政と民間が力を出し合うことで、全国に先駆けたコミュニティバスの実現など、地域に住む人々の視点に立ったきめ細やかな生活基盤の整備に成果を上げてきました。自然、文化、商業などバランスの取れた環境のもと、あらゆる世代が安心して生活できるまちとして、ますます武蔵野市が発展していくことを願っています。表現にたずさわる者として離れられないまち武蔵野市に住み始めて25年くらいになりますが、東京に出てくる前から音楽のメッカという印象があって、憧れのまちでした。太宰治などの文人ゆかりの地でもあり、表現にたずさわる者にはとても魅力があるんです。武蔵野市は、今でも地域のコミュニティが活発で、いい意味での田舎らしさのようなものが残っていると感じます。市の福祉政策が充実しているので、住んでいて安心感もありますね。もう一生、この町からは離れられません。1932年生。株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長・最高経営責任者(CEO)。2003年、勲一等瑞宝章を受章。すずきとしふみ鈴木敏文1955年生。俳優、映画監督、ミュージシャン。ドラマ、映画など多数の作品に出演する傍ら、精力的に音楽活動も行う。さのしろう佐野史郎武蔵野市在住の著名人に聞きました武蔵野市には、芸術、文化、学問、スポーツなど、各界の第一線で活躍する市民が多くお住まいになっています。皆さん、世代や活動の場は違っても、地域への特別な思いは同じ。そんな著名な方々に、武蔵野市に暮らして思うこと、感じたことについて、メッセージをいただきました。岩いわ渕ぶち真ま奈なこのまち自体がほっとできる居場所小学3年生の時、武蔵野市の市営住宅に引っ越してきて以来、ずっと武蔵野市在住で、よく遊んだ思い出があるのは市役所隣の「むさしの市民公園」です。芸人になってから、もっと都心で一人暮らしをしようかと思った時期もあったんですけど、やっぱり住み慣れた吉祥寺が一番落ち着くという結論になりました。吉祥寺はいい意味で緊張感がなくて、居心地がいい。仕事が休みの日はこのまちから出たくないですね。私にとってほっとできる居場所です。箕みの輪わはるか1980年生。芸人。早稲田大学卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)を経て、2003年お笑いコンビ「ハリセンボン」としてデビューし、活躍中。私がサッカーに出会えた場所武蔵野市の一番の印象は、都心からそれほど離れたところでもないのにすごく緑が多いということです。住宅地と自然がうまく一緒になっているように感じます。生まれてからずっと住んでいるまちですし、遠征から帰ってくるとホッとします。それに、横河武蔵野FCというサッカーの有名なチームが武蔵野市をホームタウンとして活動しているので、サッカーが盛んな土地柄という印象もあります。私がサッカーに出会えたのはこの武蔵野市ですし、日頃は意識していませんが、やはり愛着を感じますね。尾お木ぎ直なお樹き子育ての環境は抜群!国際モデルも目指せるわよ武蔵野市はとてもリラックスできる、住みやすいまちです。教育評論家としても「こんなプロジェクトを立ち上げてみよう」と、いろんなアイデアが生まれてきますね。子育てには抜群の環境があるから、子育て世代のみなさんは、もう一歩前進して、自分たちでも行動していきましょう。市には、住民が主体になって教育の核を創っていく土壌がある。武蔵野市民であることを誇りに、国際的なモデルになるぐらいの気持ちでいきたいですね。尾木ママも応援するわよ!1993年生。サッカー選手。日テレ・ベレーザ所属。背番号13、ポジションはFW。2012年ロンドンオリンピックに日本代表メンバーとして参加、銀メダルを獲得。1947年生。教育評論家。法政大学教授・教職課程センター長、臨床教育研究所「虹」所長。「尾木ママ」の愛称で創造的な教育活動を展開中。16