武蔵野市市勢要覧2017
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1968年(昭和43年)3月市営西久保住宅完成8月武蔵野市開発公社を設立10月交通災害共済制度スタート/市民会館開館(旧二小跡)1969年(昭和44年)2月女子大通り下水道幹線が完成4月市立境保育園開園/荻窪~三鷹駅間高架完成5月吉祥寺駅北口防災建築街区指定/市立桜堤児童館開館6月議長に内海星通就任8月学校プールを一般に開放10月中学校で牛乳給食を開始11月三鷹駅北口に世界連邦平和像(北村西望作)建つ12月吉祥寺ステーションセンター(ロンロン、現アトレ吉祥寺)開業1970年(昭和45年)1月東部地区で水洗化実現4月一般家庭のし尿くみ取り料金廃止/下水道受益者負担金制度を実施/武蔵境駅南口広場都市計画決定7月「公害排除都市」宣言1971年(昭和46年)2月公害健康診断実施(1回目)/ふじみ焼却場付近住民、ごみ搬入阻止3月吉祥寺大通り(五日市街道~末広通り間)開通/『武蔵野市史』本編発行4月市立関前南小学校開校/市立第六中学校開校5月議長に喜多克雄就任6月市立東保育園開園9月緑化市民委員会発足/武蔵野市基本構想・長期計画(昭和46年度~55年度)を策定10月宅地開発等に関する指導要綱制定11月F&Fビル(B棟)開館1972年(昭和47年)3月F&Fビル(A棟) 開館4月国民健康保険を外国人にも適用/富山県利賀村と姉妹都市盟約5月市営関前住宅完成6月市議会廃棄物対策特別委員会設置8月第1回むさしのジャンボリー開催1973年(昭和48年)1月米軍施設グリーンパークが日本に返還される3月清掃対策市民委員会発足4月武蔵野市民緑の憲章制定/市立境南保育園開園/市立境幼稚園開園/北町共同調理場完成6月議長に岩間一就任10月地域生活環境指標を作成11月武蔵野市の都市計画用途地域・地区を改正12月武蔵境駅南口広場都市計画事業決定/第一次調整計画(昭和49年度~53年度)策定/グリーンパークC地区(アメリカンスクール跡地・国有地2万3835㎡)の市管理開始1974年(昭和49年)1月中央通り市民ホール開館3月お年寄りの世帯に“福祉電話”を設置4月武蔵野市土地開発公社を設立1975年(昭和50年)2月グリーンパーク跡地を公園にする都市計画決定(都都市計画地方審議会)5月議長に石川宗一就任/武蔵野市民交響楽団誕生11月グリーンパークC地区を市庁舎用地(一部市立公園)とする方針を決定(国有財産関東地方審議会)/グリーンパークB地区(米軍消防署跡地、国有地8425㎡)を国立久里浜養護学校付属武蔵野教育施設とすることに決定(国有財産関東地方審議会)昭和43年−52年1976年(昭和51年)3月グリーンパーク跡地(D地区7万6653㎡)を都が日本文化住宅協会から買収(69億円)4月市立北町保育園開園7月武蔵野市立コミュニティセンター条例施行/境南コミュニティセンター開館/環境浄化対策本部を設置8月「老人のための明るいまち推進事業指定都市」に選定される10月東京都市廃棄物処分地管理組合設立11月第二次調整計画(昭和52年度~55年度)策定1977年(昭和52年)1月西久保コミュニティセンター開館6月議長に新実信正就任8月けやき橋通り立体交差が完成9月武蔵境駅周辺再開発計画案を発表10月「むさしの音頭」歌詞入選作決定(市制施行30周年記念事業)11月市制施行30周年記念市民祭典を挙行/人口13万5000人/市民の木(3種)などを植栽/吉祥寺大通り全線開通 昭和40年代に入ると、市では、小・中学校の校舎の鉄筋化や体育館やプールの建設、保育園の増設などに力を入れていきます。吉祥寺では大型店舗の出店ラッシュが始まり、まちは人々でよりにぎわいを増しました。市では吉祥寺駅周辺の再開発事業に着手するとともに、武蔵境駅南口広場の計画も決定し、新たなまちづくりを進めました。吉祥寺で大型店の出店ラッシュ。混雑を解消するために再開発事業に着手。昭和47年、F&Fビル(A棟)開館/前年のB棟開館に続き、A棟が3月にオープン。昭和48年、第2回むさしのジャンボリー/奥多摩の梅沢で川遊びをする子どもたち。56

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