武蔵野市市勢要覧2017
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1947年(昭和22年)4月町立第一中学校(現一中)開校/町長に荒井源吉就任6月第一(本宿)、第二(公園通り)、第三(境駅前)出張所設置11月武蔵野町から武蔵野市へ/市制施行(3日)、人口6万3000人/初代市長に荒井源吉が就任(~昭和38年4月)/初代市議会議長に松原福蔵就任/市消防団結成/初の市議会開会1948年(昭和23年)2月学校給食が始まる3月武蔵野地区消防組合発足/自治体警察設置6月武蔵野市報創刊9月ごみの収集開始/市立図書館移転(四小→旧市役所前)1949年(昭和24年)7月武蔵野赤十字奉仕団結成9月市立第二中学校校舎完成10月市営陸上競技場、サッカー場開設1950年(昭和25年)八丁特飲街の撤去運動起こる8月武蔵野商工会議所開設10月市営によるし尿のくみ取り開始12月電気通信研究所が武蔵野市へ1951年(昭和26年)3月都市計画下水道計画決定4月市立大野田小学校開校/市立第三中学校開校/国鉄武蔵野競技場線(通称)(三鷹~武蔵野競技場前)開通/関前出張所設置5月議長に望月勝三就任/東京グリーンパーク球場ができる6月市立境南小学校新校舎完成7月武蔵野市身体障害者協会結成9月成蹊前出張所設置10月福祉事務所発足11月武蔵野市議会報創刊1952年(昭和27年)4月市立本宿小学校開校/水道事業および下水道事業着工11月市制施行5周年記念式典を挙行/第1回市営立川競輪開催/武蔵野市教育委員会発足1953年(昭和28年)2月『武蔵野市』上巻を発行4月市立第四中学校開校5月議長に森田元次就任6月市営プール開設11月グリーンパーク米軍宿舎完成1954年(昭和29年)1月成人祭開催4月市立関前小学校(現千川小)開校5月都市計画道路中央通り完成6月副議長に本田実男就任7月自治体警察廃止(都へ移管)9月第一浄水場完成、給水開始11月『武蔵野市』中巻を発行1955年(昭和30年)1月武蔵野・三鷹地区保健衛生組合設立3月西窪地区(現緑町)に鉄筋アパート600戸が造られる4月市立井之頭小学校開校/市立境北小学校開校/市立関前保育園開園(現千川保育園)5月議長に井野善太郎就任6月一小、二小、大野田小に特殊学級開設(都下で初めて)7月衛生協力会発足10月ふじみ病棟(伝染病棟)竣工(武蔵野・三鷹地区保健衛生組合)1956年(昭和31年)7月市立武蔵野保育園開園(現南保育園)10月東京グリーンパーク球場解体1957年(昭和32年)4月武蔵野市青少年問題協議会設立/人口10万人を突破6月議長に高橋輝一就任11月市制施行10周年記念式典を挙行/人口10万3,000人12月『武蔵野市』下巻を発行 戦争が終わった2年後の昭和22年11月3日、市制の施行によって武蔵野市が誕生しました。市では学校や保育園、上下水道、公営住宅などの社会基盤を整備し、人口も増加する中、自治体としての基礎を築いていきました。また、ごみやし尿の回収も始め、公衆衛生の改善にも取り組み始めました。武蔵野市として再スタート。教育、住居、生活基盤の整備を進め、近代都市へ。昭和22年−32年昭和26年、吉祥寺仲町通り商店街/人口増加に伴い、商店街は活気にあふれた。昭和22年11月3日、市制施行/同月、初の市議会が開催された。昭和28年、市営プール開設/子どもの料金は現在と同じ10円だった。54

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