武蔵野市市勢要覧2017
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遥か昔、旧石器時代から人々が暮らす武蔵野。江戸時代には、武蔵野村の前身となる4村が誕生します。江戸時代まで 武蔵野市の歴史は、旧石器時代(約1万5000~約3万年前)にさかのぼります。昭和37年から続く発掘調査の結果、井の頭池周辺で、石器、土器、住居などの遺物・遺構が発見されました。江戸時代になると、度重なる大火によって江戸から人々が移住し、吉祥寺村、西窪村が誕生。さらに開墾などにより関前村、境村もでき、4村が誕生しました。溝状遺構/平成8〜9年の調査(御殿山遺跡)で発見された遺構。多くの市民が見学に訪れた。井の頭池遺跡群から発見された石器。井の頭池遺跡群から発見された縄文時代の土器。御殿山遺跡発掘の様子/昭和37年、井の頭池周辺の調査で、縄文時代竪穴住居跡や多数の土器・石器が発見された。旧石器時代(約1万5000~約3万年前)井の頭池畔御殿山から石器が出土(昭和37年)縄文時代(約3000〜約1万5000年前)井の頭恩賜公園で縄文時代中期の竪穴住居跡を発見(昭和37年)江戸時代まで771年(宝亀2年)武蔵国、東海道に属す1650年(慶安3年)江戸西久保城山町(今の港区芝西久保巴町)が焼失1653年(承応2年)玉川上水敷設工事の許可が下り、翌年に完成1657年(明暦3年)1月、江戸大火が起きる。水道橋の吉祥寺類焼1662年(寛文2年)西久保城山町の農民、武蔵野に移住。これが現在の西久保の由来。城山通りに名が残る1664年(寛文4年)吉祥寺村、西窪村が検地される1672年(寛文12年)関前村が検地される1678年(延宝6年)境村が検地される1696年(元禄9年)千川上水が完成1736年(元文元年)境新田、関前新田が検地される1866年(慶応2年)武州一揆が起きる緑町の源正寺にある馬頭観音/吉祥寺北町や境の馬頭観音菩薩塔、御殿山の馬頭観音塔など、市内にはいくつかの馬頭観音が残っている。52

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